アドパのためにPS3買ってしまった…
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だいぶ間が開きましたが前回(11/22)に引き続き存在意義の考察してみます!
今回の考察範囲は昨年11月~現在までのニョアの手記および叙事詩です。
存在意義叙事詩より。
マシノワへの拉致直後のマルクトはクオリアが形成されていないため、周囲の事象を知覚はしていても理解はできていなかったようです。
よって、自分の力がマシノワで何らかの作用があった時も理解はできていなかったということですね。
一定時期はクカルとマルクトを容認していたギジリが、ある日を境に態度を一変させたのにはマルクトの力の発露が関係していそうです。
マルクトは自身の持つ力を「破壊と混沌の力」と認識している。
本来流転するはずのマルクトに眠る力は星の意思そのものである「混沌を正すための力」だとも取れるのですが…
この時点でマルクトはすでに因果律を乱していることになるので反作用的に力が働いたとも考えられます。
もしくは、マシノワ滅亡=星の望む展開だったとも考えられます。
ギジリがリスタチア所持者ならば、ギジリが更なる混沌を呼ぶことを防ぐためのマシノワ滅亡とも考えられるかもしれません。
そしてマルクトの力はマシノワ繁栄時にはマルクトがコントロールできるものではなかった、ということ。
そういわれてみると、存在意義のムービーでマルクトの足下から大樹が現れる瞬間、マルクトは体を抱きこんで涙を流しています。
導かれるようにルエリシアに相対したマルクトから反射的に星の力があふれ出したのかもしれません。
しかし、ラストではマルクト自身が力をコントロールしているようにも見えます。
これはルエリシアと対面したことで、マルクトが自らの存在意義を自覚したために、力のコントロールを得たのではとも推測できます。
とりあえず叙事詩から考えたことをまとめてはみましたが難しいなぁ…orz
今回の叙事詩ではマルクト拉致~マシノワ滅亡までのストーリーはあまり明らかになりませんでしたね…。
ギジリとクカルの動向が気になります!
公式叙事詩も発表されてだいぶ経ったわけだし、存在意義の考察は今回で一応終了とさせていただきます!
解釈の誤り・新解釈などありましたら教えていただけると嬉しいです。
それでは今回はここらで。
次は赤き天使ムービーの考察、かな?
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